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◆ 吉 孝也さんのラス・パルマス通信 ◆
カナリア諸島グラン・カナリア島ラス・パルマスに在住で、当協会元会員の 吉孝也さんからのお便りです。
 最新のラス・パルマスの情勢を、時に応じてお届けします。
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[2006/06](第36便) モリタニア
[2006/05](第35便) 砂漠の国 マウリタニア-2-
[2006/05](第34便) 砂漠の国 マウリタニア
[2006/05](第33便) 山の中の家
[2006/03](第32便) 愛の営み
[2006/02](第31便) グランカナリア島の春の訪れ、山岳ドライブ
[2005/12](第30便) 子作り最高齢
[2005/10](第29便) モロッコの微笑み
[2005/07](第28便) ミニ同窓会
[2005/06](第27便) Banco España
[2005/05](第26便) 事故
[2005/04](第25便) 春所感
[2005/04](第24便) 麻薬の密輸
[2005/03](第23便) スペインの葬式
[2005/02](第22便) Plaza Hiroshina y Nagasaki −(1)
[2004/11](第21便) 言葉
[2004/11](第20便) 徒然12L
[2004/10](第19便) Gran Canaria 島
[2004/10](第18便) 運転免許証
[2004/09](第17便) 補聴器
[2004/08](第16便) 握手
[2004/08](第15便) 父と息子の子造り競争
[2004/07](第14便) 自殺
[2004/07](第13便) ラスは25℃
[2004/06](第12便) カレンダー
[2004/06](第11便) Locos perdidos
[2004/05](第10便) 吉家の、スペインにおける3代の男たち
[2004/05](第9便) 病気になるなら、スペインにいらっしゃい
[2004/03](第8便) 仏教徒で良かった
[2004/02](第7便) 母親ふたり
[2004/01](第6便) スペインの恋人たち
[2004/01](第5便) スペインは情熱の国
[2002/08](第4便) ラスの日本人
[2002/08](第3便) 洞窟−2
[2002/08](第2便) 洞窟−1
[2002/08](第1便)


(第36便) モリタニア

ラスパルマスに駐在する大手水産会社が、モリタニアの蛸壷蛸を輸入して居ます。
その所長がモリタニアの首都ノアクショットの住宅地の写真をとってきてくれました。

彼が冷凍工場の2階の窓から眺めていたら、少年が敬礼してくれたので、下へ下りて住宅街に 入ってゆきました。
今まで空き家に見えた砂漠の町から数十人の子供、少女たちが湧き出てきたそうです。

雨が降らないので、簡単なバラックですね。中に入ると、砂地に絨毯が敷いてあり、そこでごろねです。
便所??もちろん外の砂にアナを掘って用を足します。

家具にあふれた日本の家に比して簡素で健康な生活です。
子供たちの顔が明るいですね。
2006/06


(第35便) 砂漠の国 マウリタニア-2-

今日も セネガル、モリタニアから1千人の不法入国者が命がけでカナリア群島に 小船でたどり着きました。
スペインと犯人相互送還条約がある国へは送還出来ますが、密入国者は書類をすてて持っていません。
ラス在のアフリカ各国領事館職員が聞き取りで国籍探索です。
条約がない国の人間と査定されたら、40日の拘留で釈放。
スペインは国の税金で何千人のアフリカ人に食事を与えベッドを提供。
抑留者はサッカーで暇つぶしに遊んでいます。
                       吉
2006/05


(第34便) 砂漠の国 マウリタニア

ラスパルマスの若い畏友が撮った写真を同氏の許可を得て送ります。

世界最大の真蛸漁場を持つ砂漠の国 マウリタニアです。
数千年前の生活のまま、停止してしまったような国。
この国から500キロメートルのところに、世界的な観光地ラスパルマスがあり、 そこへめがけて年間数千人のアフリカの若者が貧困と飢餓から抜け出そうと 夢を抱いて、不法入国するわけです。
世の中は不公平。神の存在を疑いたくなります。

海浜に並ぶ黒いつぼは、蛸壷です。
私今から40年前に、この国で蛸壷試験操業したことがありました。
それがこの国の基幹水産業となっています。

この写真メール数回続けます。
2006/05


(第33便) 山の中の家


先週末に、セネガルから、千人以上のアフリカ人が小船に 乗って、1200キロの大西洋を命がけでわたり カナリア群島に 不法入国してきました。
幸い私の家は山のなかにあり、海岸から30キロ離れているので この騒ぎの影響はありません。
この人たちに申し訳ないぐらい平穏です。

先日我が家においでくださった日本人ご夫妻の奥さんに我が家の説明している写真をお送りします。
200年前、ラスに移住したスペイン人が立てた石造りの家畜小屋を客間に改造しました。

向こうに見える部屋は、cosina です。

数百年前、島に住んでいたスペイン移民たちは、時々襲ってくる、英国、オランダの海賊の被害を避けるために 山の中に家をたてました。
2006/05


(第32便) 愛の営み

日本列島は春爛漫。雨の多かったカナリアの冬も終わり、グランカナリアは 緑に覆われました。
オランダの友人が来島し、一緒に、洞窟に住む友人の水道メーター箱に、冷凍魚を いれに行きました。
この洞窟は水道は来ていますが、電気はありません。

洞窟の上の広場は夜になると真っ暗になります。
町からアベックが愛の営みに参ります。

兵どもの夢の後・・・金網にひかかっていました。
75年の生涯で初めて見ました。
                   吉孝也
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2005/03


(第31便) グランカナリア島の春の訪れ、山岳ドライブ













ひさし振りです。引退、年金生活者の癖に、忙しい毎日でラス通信も怠けています。
ラスパルマスの友人マルハ・ラスパルマス所長、大塚氏の写真と文を ご本人許可を得たのでメールします。

吉 さん

3年前に当地に赴任してから3度目の“冬”ですが、先週日曜日に初めてこの時期の 山岳部へのドライブに一人で出かけて来ました。

これまでは、夏のドライブで山岳道路から遠く眺めるだけだったこの島のシンボルである山頂の 大岩『 Roque Nublo』(ロケ・ヌブロ)迄のハイキングと、話に聞いた南欧で春の訪れを告げ、 日本の桜とも言えるアーモンドの花が咲き乱れる風景を期待ながらの半日のドライブでした。

今期は雨が多かったこともあり、山肌は岩や地肌がむき出しだった夏場とは様相が一変し、 緑で覆われており、沿道・斜面や村のあちこちには、白やピンクの淡い色のアーモンドの花が 咲き乱れて、今となれば懐かしい日本の吉野の山桜のような風景でした。 

やはり、この時期は新緑とアーモンドの花で最高のドライブ時期と見え、日曜としては珍しく 道路はバス・バイク・車でけっこう込んでました。 
ただ、天気が良くて日差しや紫外線が強かってせいか、淡い色のアーモンドの花が咲き乱れた 様子が写真では今一よく映ってないのが残念ですが、・・・。

大岩のロケ・ヌブロへも、ハイキング道入り口の道路脇に車を止めて、登ってきました。

  ハイキング道も子供やお年寄りでも歩けるよう整備されており、休憩無しの片道約30分で 大岩の下に到着。 途中、海の向こうに冠雪したテネリフェのテルデ山もその優美な姿を見せ、 まさに絶景でしたし、勾配・距離とも、幾分息が上がる程度で、良い運動にもなりました。

さすがにこの島の聖地と言われるだけの事はあり、ロケ・ヌブロは一度はその場所まで訪ねる 価値は十分ありますね。 

もう何度も訪ねられて、今更かもしれませんが、・・・。

では、

大塚和俊
2006/02


(第30便) 子作り最高齢


来年は75歳になるのですが現役の緊張と、年金生活者の気楽さを両立させるべく、よろず仲介業をやっており、結構忙しい毎日です。

さて先週のスペインTVの芸能人噂番組に、Julio Igresiaの親父殿、90歳。
2番目の子供を、42歳の細君に宿らした!!これは世界記録・・・
ギネスブックに載せる載せないと騒いでいました。

その翌週、90歳のJulio Igrecia 爺さん。19日心筋梗塞で、あの世に引越。
セガレJuio Igresio。自家用機はうぱらったため、大型機をチャーターして、あちこちに散らばっている、親族を引き連れて、Madridにやってきました。
孫のEnrique歌手は、自分の自家用機で、後で参加するそうです。

やれやれ、90歳の爺さん、人騒がせでした。
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2005/12


(第29便) モロッコの微笑み

趣向をかえて・・・ ラスパルマすの対岸、南モロッコ、サワラ砂漠はタコの産地。 多くのおお日本の人たちが商用に訪れます。 同じ回教徒でも、中近東の回教徒とは大違。明るい表情の女性が、 微笑みかけます。 そしてこの微笑の虜になった日本男性もたくさんいたと聞いています。 男性会員の皆様、お楽しみください。
2005/10


(第28便) ミニ同窓会

しばらく不精にすぎました。

過日、余り電話が来ない山の陋屋の電話が鳴りました。
地球の裏側の小島に数日の予定でこられた、
会員の小牧典子さん(水産大学の同窓でもある・・・)でした。

もう一人のラスパルマス在住の、水産同窓・富山県出身の飯野さんと、ミニ同窓会を 兼ねて、島南のPuerto-Ricoに行きました。
そのときの写真を送ります。

Puerto-Ricoは島北端のラスパルマス市から60キロ、車で一時間。
すばらしいヨットハーバーと、サワラ砂漠からはるばる運んできた砂で作った人工ビーチがあります。
白く塗られた、ホテル、アパート、バンガローが、岩だらけのガレ水枯れ谷の山腹にびっしりと建てられています。
ベッド数は5万。年間延べ50万の人たちがくる、ちょっとした避暑、避寒地です。

皆様、おいでになるときは、声をかけてください。
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                      吉
2005/07


(第27便) Banco España

先日古写真を整理していたら、真新しい5千ペセタの札が出てきました。
大金なので、BANCO ESPANIAに行き、ユーロと交換しました。
新貨幣ユーロ発行から3年。市銀行では換えてくれません。
日本でも、私、日本銀行とはまったく関係ありませんでしたが、スペインでも国有銀行は、初めてです。
19世紀の荘厳な石造建築で、入るとき、身分証明書を立ち番の警官に見せて許可を貰います。
もちろん内部は、顧客の姿はなく、何も表示のない窓口に、中年の銀行員が一人勤務していました。
窓口の二重ガラス越しに、恐る恐るペセタ札を見せて、ガラス窓を開けてもらいました。

申請書類に名前、住所、証明書番号を記入して、5千ぺセタと一緒に、制服姿の厳しい係員に渡しました。
彼は札を持ったままどこかに行きました。
数分待っていたら、普段着のスペイン人が入ってきて私の後ろに並びました。
手持ち無沙汰の私、彼に「あなたもペセタ交換ですか」と聞きました。
彼、握り締めていた右手を開いて、
「いや…。新しい50ユーロに交換してもらいに来た。夕べ女房と大喧嘩!女房、俺のなけなしの50ユーロを
粉々に破りやがったのさ」
スペイン国有銀行のサービスですね。日本銀行は破れ札を換えてくれますか?
私の5千ペセタスは30ユーロでした。
                    end
2005/06


(第26便) 事故

尼崎のJR脱線事故。スペインでも連日TVで、放送されていました。
107名の犠牲者に、哀悼の意をささげます。
スペインでは、スクラップを20トン積んだトラックの運転手が居眠りして、道路脇に 停車して、交通取締り打ち合わせをしていた、交通パトカー4台に次々追突、 警察官5人が死亡しました。
トラックの運転手は23歳のルーマニア不法移民。運転免許証も持っていない!! 気の毒な警官はまったくの無駄死にです。
尼崎も運転手は23歳。未熟者に運転させていた監督者の責任です。
やり場のない怒りを感じました。
2005/05


(第25便) 春所感

ラスパルマスの山も、ミモザとか、ケシの花、黄色、紫、赤の色とりどりでまことにきれい。
今朝7時に起きて、自尿を飲み、深呼吸10回。犬3匹と30分散歩。
北東の山越しに望む、ラスの町の上には雲棚がなびいて、静かな暖かな朝でした。
朝飯は、イワシの缶詰をパンに乗せて2枚,緑茶と紅茶のミックス2カップでした。
そして書斎にきて、PCのメールを開いたところです。

日本の外交は、相変わらず、もたもたして、受身になっているようですね。
私は欧州という異文化の土地に来て、40年。曲がりなりにも、国際的に 仕事をしてきました。
外交も、ビジネスの交渉も、相手の出方、考えを良く聞き、自分の意思を相手にどう納得させる ことができるかということです。
感情をはさまないで、自分のどの行為を取り下げても、自分に損害がないか? 判断するバランス感覚でもあります。

中国;小泉の靖国参拝中止が、中国の譲歩を引き出す、最大のインパクトだと思います。
小泉が、国民に、中国を説得するために、私は靖国参拝をやめるといえば、国民は 小泉の英断を評価するでしょう。

韓国竹島:韓国と、本件は国際裁判所の判断に任せるという合意を、結ぶべきです。
この合意を実現することで、韓国も日本も、大人になったという、国際評価を獲得する に違いありません。
             吉 孝也
2005/**


(第24便) 麻薬の密輸

 ラスパルマスは、国際都市で、観光旅行者を除き、、居住外国人は、欧州人、モロッコ人、モリタニア人、東洋人が、合計12万万人おります。 カナリアの総人口が190万人ですから、10人に1人が外国人でしょう
 東洋人で一番多い人種は韓国人。一世二世合わせて、2千人。日本人は170人。 ちなみにスペイン全体の許可を受けた永住外国人は3%、約100万人。

 私の親友で金さんと言う、韓国人がラスにいます。 半年前までは、500トンクラス底引き船3隻、エビダブルリガー3隻の大漁船船主。
 韓国事務所に5人、フリ−タウンにふたり、ラスに3人、海上に150人の船員を 養っていました。
 その金さん、燃油の洋上補給業者から、高騰した燃油代前払いを要求され、たちまち破産。 残油ぎりぎりで、ラスに帰港させた持ち船は、ラスの債権者に差し押さえられました。
 金さん、今まで稼いだカネは全部船経営に注ぎ入れ、30年住むラスの家は未だに借家!! 家賃滞納で追い出しを喰らっています。先日は電気を停められたそうです。
 先日、誰もいない彼の広大な事務所兼倉庫に行き、彼の話を聞きました。
「ヨシさん、私、韓国にも帰れないし、借金が70万ドルあるラスに居ても、漁船経営以外のことは知らない。 どうやって生きてゆくか?!債権者は、私の倉庫をねらっているし」 と嘆いていましたが、
「しかし、エビ船一隻を何とか出航させて再起します。」 といっています。彼58歳。
 その彼に麻薬業者が、話を持ち込みました。
 彼のエビ船の航海経費を全部負担してやり、彼に15万ドル謝礼払うから、南米から西アフリカまで 麻薬を運んでくれ。 彼は、船を売るから、お前さんのリスクでやれと、断った由。 彼の友人の韓国船主は数回、このやばい商売をやってたそうです。

   金さんの漁船が、南米のある国の沿岸70海里に近づいたら、どこからともなく、小型飛行機が 飛来して、船に乗船中の麻薬業者の駐在員の合図で、海上に完全梱包の麻薬を数トン投棄 する。それを拾って、警戒の厳しい中緯度の貿易風帯を避けた赤道海域を東行して、西アフリカの 領海にきたら、港から高速ボートが来て 80%麻薬を受け取る。 残りの20%は最初の80%の検品してから受け取る。
 20%はお互いの保障額でしょうね。
この商売、つかまれば20年の懲役です。もっとも模範囚なら10年ででてきます。
 この話、小説のようですが、事実、カナリア群島水域で、立派な漁船が年間数隻、100トンからの麻薬が、 洋上警戒中のスペイン軍艦に捕獲されています。 金さんによれば、危険率40%だそうです。
 今日のニュース。
スペイン社会党のSapatero首相は麻薬密輸監視の軍艦、ヘリコプターを ベネズエラに売却する大型商談をまとめました。
2005/03


(第23便) スペインの葬式


 人口希薄な、私の住む山合いに、二つの不幸がありました。
 谷を隔てて2キロ向こうの尾根。一部屋の、電気も便所もない、小さな家に住む、51歳独身者ルイスの死体が、山の獣道で発見されました。
 肌寒い山雨が降る朝のことでした。
 二日ほど姿をみせないルイス。不審に思った姉が、探しに行って発見したのです。
 解剖の結果、糖尿の持病を持つルイス、兄弟の家のジャガイモ収穫の手伝いに行っての帰路、糖不足で意識不明になっての凍死と診断されました。
 ルイスの追悼ミサに出席しました。
 その一週間あと。私の家の尾根伝いの農家の長男、生活の厳しい百姓をきらって、山を降り、ラスの町に住み、自動車修理をしていたヘルマンが、全身ガンで二人の幼い子供を残して、短い療養のあと他界。ヘルマンの時は、出棺の見送りにTanatorio(遺体安置場とでも訳しますか)に行きました。
 わかくして他界した、二人の人生は決して豊かな、充実したものではなかったでしょうが、彼らとのお別れには400人からの人たちが集まりました。
 スペインの死への旅路の手順はこうです。
 遺体は、一晩、公立のTanatorio に安置され、親しい人々は、お通夜に参加する。
 翌日、墓地の混み具合によるが、午後の程よい時間に出棺して、墓地に向かう。参加者はTanatorioに顔をだし、霊安車とともに、墓地に行き埋葬にたち会う。
 埋葬後数日、死者の所属する教会で、遺族が追悼ミサを行う。
 死者に縁ある人々は、3回の会合のうち、自分の都合に合わせ適宜出席することになりますが、普段着で、何気なく顔を出します。香典の習慣もなく、被会葬の遺族の茶菓の接待もありません。
 死者と親しい人たちは3回とも出席するようです。
 私のように、単に近所に住むという縁の人は、死者えの弔いと、近所付き合いの濃淡の兼ね合いで、どの会に出席するか決めます。
 お通夜、出棺の会葬者は遺族にLo siento と挨拶した後、顔見知りの会葬者と、他愛のない雑談を交わして、死者を弔うことになります。
 ミサは厳粛です。地味な正装に身を正した会葬者を前に、型どおりの祈祷があり、故人をたたえ、最後に牧師が、敬虔な出席者に、パンと祝福をを与える儀式で終わります。
 10数年前、ラスパルマスで一番大きな教会で、レバノンキリスト教徒で億万長者の倅の、他界した父親の追悼ミサに出席したことがありました。 彼はおそらく数百万円のお布施を教会に寄付したでしょう。
 結婚もできず、孤独な人生をすごした、かわいそうな、ルイスの追悼ミサは、山霧の垂れ込める山間の小さな教会で行われました。 でも、厳粛な中にも、荘厳な空気を感じたのは、私の加齢のためだけでなかったようです。
2005/03


(第22便) Plaza Hiroshina y Nagasaki −(1)

Gran Canaria県 第二の街、400年の歴史を持つ、人口10万のTelde市に この広場があります。
1987年、ラスパルマス市から、南に走る高速道路建設計画が立案されました。
ラスパルマス市から15キロ南のTelde(テルデ)市に入るインターチェンジ沿いに、400平米ほどの遊閑地がありました。
Partida Coalicion de Canaria (カナリア連合党)所属の当時のテルデ市長は、この遊閑地に、日本の平和憲法9条を掲示した広島と長崎広場をつくることを市議会に提案し、全会一致で、テルデ市議会を通過しました。

道路工事も順調に進み、10年後の、1996年、1月26日夜、この広場に約千人のスペイン人、在留邦人があつまり、序幕式が行われ、平岡敬・広島市長と伊東一長・川崎市長のメッセージを日本人学校生徒・飯野バネサさんが代読。
モニュメントの序幕は、テルデ市のサンチャゴ市長と、西村輝夫・在ラスパルマス総領事の手で行われ、全員で、ベートーベンの『第九』を合唱した。 (17−2−1996.中日。夕刊記事)

木に、左手をかけた私の顔と、木の幹の間に見える白っぽい陶器板に、日本外務省が提供した第九条の西訳が提示されています。
写真を撮った2月19日。土曜日の午後5時、おとづれる人とてない、広島長崎広場には、肌寒い北風が吹き過ぎていました。
長崎広島の30万近い犠牲者の霊が、大西洋の孤島に祀られている・・・
犠牲者のご遺族に何とかお伝えしたいものです。
                    吉 孝也
                          
2005/02


(第21便) 言葉

65年前の新潟白山小学校の同級生が、インターネットで、吉孝也を検索して、AIYESのHPに入り 私のラス通信の愛読者です。

彼から
”日常生活で家族同志それぞれ何語で会話をしているのだろうかと云うことです。特に息子さんや孫の坊やとは。そして息子さんと彼の坊やとは。”
との質問受けました。

言葉が違う同士の結婚、どこに住むかで、状況は変わってきます。

@両親が同じ日本人でスペインに住む場合;
家庭内の言葉は日本語。ただし、子供たちがスペインの学校で教育受けると、会話にスペイン語が混ざります。子供たちが成長すると、バイリンガーに近くなりますが、日本語を話すのがキツイようです。

@父親が日本人で母親がスペイン人でスペインに住む場合;
家庭内の言葉はスペイン語。子供も、父親もスペイン語 を話さざるを得ない。ただ、子供が幼いときから日本語学校に行っていれば、日本語も話すし、字も書ける、立派なバイリンガーになれます。でも、子供の努力しだい。子供本人は日本のパスポートを持っていても、”自分はスペイン人”と 思うケースがほとんどです。
私の倅の場合、父親の言う日本語、たとえば、”タロちゃん、それ、しちゃいけない”は理解するが、子供は日本語話せません。
それにスペイン人の母親はおしゃべりが多いから、子供はスペイン語だけになります。

ラスパルマに日本人の父親を持つ混血人が数十人いるが、完全な日本語を話す青年は、小中学10年、日本語学校とスペイン学校に行った2人だけです。そのうちの一人は、日本語、スペイン語、英語を話します。その他は、日本語ゼロの子供たちがほとんどです。

@父親が日本人。母親がスペイン人。日本に住んでいた夫婦の場合;
奥さんが17歳、日本船の司厨長をやっていた旦那が25歳で結婚。
その後日本ですし屋を経営してに37年。この御夫婦がこのたびラスに帰ってきました。
もちろん奥さんは日本語ぺらぺら。一緒に来た倅夫婦はスペイン語ぜんぜん話せない。嫁さんは純粋の日本人。二人目の子供ができる前に、嫁さんは日本に帰ってしまいました。倅もその後を追って日本に帰りました。
ご夫婦は頼りの倅が帰日して、がっくりしておられます。

@父親がスペイン人で、母親が日本人の場合;
この組み合わせの子供は、日本語を相当話せます。母親が赤ん坊のときから、しょっちゅう日本語を話すからです。しかし、子供はたいていスペインの学校に行きますから、スペイン語になじみ、 バイリンガーには程遠いようです。でも母親は、ほとんど自宅にいますから、子供に日本語を教えている熱心な母親さんが かなりおられます。もちろん家庭の用語はスペイン語主体。
母親と子供の日本語会話に入りたくて、日本語を習ったスペイン亭主がいます。毎夏休み、日本に3週間行き、3年目で3級の日本語通訳の試験に通りました。49歳。

@私の連れ合いはスエーデン人です。
37年前に知り合ったときから英語を家族語としてきました。その後スペイン語交じりとなりました。今では会話はさほど必要でなく、”おい、あれ、それ”でお互い理解しあえるようになりました。
口角泡を飛ばす喧嘩するには、私の英語、スペイン語は語彙不足ですから、常に私が折れることになります。
倅家族がラスにくると、スペイン語が主体。倅と私だけの場合は日本語。
私の夢は、孫のAlonso Taro Yoshi Castro(孫の名前)と日本語でしゃべることです。
スペインの王さまの嫁さんは、ギリシャの王室出身。結婚した当時の共通語は英語だったので、今でも二人のときは 英語で話し合うそうです。
そういえば、カルロス国王は、ブッシュの牧場に滞在してますね。もちろん会話は英語でしょうなあ。ブッシュのスペイン語は、対立候補だったケリーより上手でしたし、ブッシュの弟のフロリダ知事の嫁さんは、スペイン系。
世界はますますグローバルになるようです。
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2004/10


(第20便) 徒然12L

自宅勤務してから、TVをみる時間が多くなりました。
一昨日から、アラファトの死以来のTV実況見ています。
パリ、カイロの告別式に引き続き、ラマロの埋葬の中継を全部見ました。
完璧に演出され、厳粛な雰囲気のパリ、カイロ。
パレスチナの喧騒と、狂気というような熱気が伝わってくるラマラ。
イスラム断食が終わる週の金曜は、イスラム教徒にとっては、クリスマス、正月、お 盆が一緒に来たような興奮の極に達する日です。
その金曜に埋葬されたアラファトは、長く、パレスチナ人の記憶に残り、彼らの殉教 者になるかもしれません。

それにしても、パレスチナ人のやり場のない怒りがTVの画面から吹き出てくるよう で、いまさら パレスチナ/イスラエル紛争の 解決策の難しさを感じました。
しかし、アラファトの死を契機に、この両国に和解が芽生えることを期待したいもの です。それにしても米国のイスラエルに対する 肩入れには腹が立ちます。
Capt. Koya YOSHI
Tel. 34-928-61.36.37
Fax 34-928-63.28.84
Mov 34-607.62.55.10
2004/10


(第19便) Gran Canaria 島

 先日Gran Canaria 島の南斜面にある、標高2千メートルの小部落に行きました。荒れ果てた斜面に数軒の洞窟住居があります。そこからの景色がすばらしいです。
 連れ合いがとなりに写っていますが、それは忘れて、背景をご照覧ください。
          吉
2004/10


(第18便) 運転免許証

 晴れ渡った爽やかな朝、運転免許証の書き換えに行きました。70歳を超えると、2年毎の更新になります。
 交通局の周囲には免許書き換えの下請けの身体検査を有料で行うINSPECCION-MEDICOSと免許用インスタント写真屋が 何軒かあり、30ユーロ(約4500円)で、視力、聴力、健康状態の聴診と、反射神経の検査を30分ぐらいでやってくれ、身体検査証明書を 発行してくれます。
 証明書を、交通局免許証更新窓口に提出すると、機械的に、10分もあれば新しい2年期限の免許証を発行してくれます。
 但し、順番待ちが3時間ぐらいあります。
 問題は反射神経検査で、丁度ゲームTVのような検査機器に向かい合い、右から左に動くスピードの異なる黒点が、トンネルに 入ってでてくる時間を推定して、ボタンを押すわけですが、こちらは興奮しているし、なかなか、的確にボタンを押せないようで、検査の 女医が何回もやり直ししますが、しかめ面をして「Uds. tiene muy lento nervio reflexion」.
 これじゃ通らないかなあと思い、必死になって、「 hace 40 anios condusco coche niguno accidentes」と説明し、 もう検査しないから 30ユーロ返してくれ、と脅かして、やっと証明書を書いてもらいました。
 日本の場合はどうか知らないが、スペインのやり方は何か賄賂が効くようで、頼もしい限りです。
 75才の次の更新時は、50ユーロぐらい袖の下をやらねば通らないかもしれません。

            吉 (Emial; koya@canaldirecto.com)
2004/10


(第17便) 補聴器

 先日曜。人工授精の男の子を授かった、レスビアン婦婦の誕生祝いの野外パーテーに 招待されました。
 全部で20人ほどの、30台から40台の若い人たちばかりでした。
 73歳の、東洋人でスペイン語も余り出来ない私、年齢の近い85歳のお年寄りと同席し ました。

 この老人、左耳に、補聴器ようなものをつけているので、話のついでに、あなたの補 聴器、調子はどうですか?と尋ねました。
 「Jovencito!!.これは補聴器じゃないよ。若い連中の話は面白くなく,退屈な ので、サッカーのラジオ中継を聞いているのさ」
 これには大笑いしました。
                      吉
2004/09


(第16便)握手

 多分10月には事務所閉めることになるので、古い書類を車で 港が見える、市営のPunto−Limpio(ゴミ捨て場)に持ってゆきました。  備え付けのコンテナに、感傷気味な独り言「adios a mis histor ia personales」と言いながら 捨てていたら、隣のFurgonetaの書類を捨てていた30歳ぐらいの青年が、 「Sr.Yoshi, su tiempo pasados ya estan en nuestro cabezas」と話しかけてきました。 15年前に私の会社に働いていた少年が立派な男になって居たわけです。  私と働いた楽しい記憶が彼の頭に残って居るのだなあ…。 涼しい海風を受けながら、かたい握手を交わしました。
2004/08


(第15便)父と息子の子造り競争;

 父親。もと医者のJulio Iglecias 87歳と、その倅歌手Julio Iglecias 60歳の子 造り競争は父親、87歳に凱歌があがりました。  歌手のJulioの一番小さい双子の娘は2歳。  元医者のJulioは,2ヶ月前に30歳の後妻に男の子を産ませました。  元医者のJulioさんは、世間体が悪いのか?この間のTVのゴシップ番組に、聞かれも しないのに、私の一番小さな倅は、凍結して保存しておいた私の精子を人工授精させ たものと、答えていました。ホントかね?  歌手のJulioの実の娘の子供(2歳)と元医者のJulioの一番新しい娘の関係を、すぐ あてられる人は系譜学に造詣深い人といえるでしょうね。  それにしてもJulio一家の係累の複雑なこと!!                                      吉
2004/08


(第14便) 自殺

 私の家に掃除に来る婦人の甥が、新築のByPass高速の200メートルの高さの橋から 投身自殺をしました。25歳、独身。簡易バイクが後に残されていました。
 自営のためのトラック購入資金が銀行から下りると言う、その日でした。原因は不 明。

 私の山の家の隣組(といっても1キロ離れていますが)のガンで病む、主人65歳。 真夜中に行方不明になり、翌朝の捜索で、裏山の100メートル崖の下で遺体が発見さ れました。
 最近のスペイン人も自殺が多いようです、

 キリストの教え、「自ら命を絶つな」も、憂鬱病という精神病に勝てないようです。 憂鬱病は、自殺願望があるそうですね。
 私の飼い猫も、ある日突然、行方不明になることがあります。猫生に飽きて、どこか の 岩陰にひそみ、餓死自殺するのかもしれません。厭世自殺かな?
                              吉
2004/07

(第13便) ラスは25℃

日本も、スペイン本土も、酷暑で、大変のようですね。 ラスパルマスのあるカナリア群島は、沖縄と同じ緯度にあるのに、冷たい深海水塊が 湧き上がるちょうど真ん中にあるため、夏涼しく、冬暖かい気候です。 今日もマドリッドは40度。ラスは25度。 マドリッドのわたしの日本の友人は45度の室内で、冷房ないので、裸になって暑さを 凌いでいると、さっき電話ありました。 同じ人生なら、ラスの方が長生きしそうですね。                               吉
2004/07

(第12便) カレンダー

 私の漁船岸壁が見える事務所には日本、オランダ、スペインのカレン ダーが貼ってあります。日本の週は月曜から始まり、ヨーロッパのカレンダーは月曜 から週が始まります。
 世界に散らばる連中に聞きましたら、米国、中国、韓国は日本と同じく日曜から、回 教国は 土曜から始まるそうです。
 週末はゆっくり休むと言う挨拶を、金曜の夕方、友人たちと交わしますが、週末休日 には 日曜も含まれるわけで、欧州のカレンダーのほうが使いやすいです。
2004/06

(第11便) Locos perdidos

 今スペインは、国王から、道路清掃員に至るまで サッカー欧州カップで、”loc os perdidos”です。
 16日は夕方6時から、ギリシャVSスペインの試合でした。
 夕方5時ごろから、国中の道路はがらがらになり、道路を管理する警察以外は、最寄 のバー、国会議員もその例外でなく、昨夜のTVニュースに国会の模様が放映されまし たが、出席している議員は 女性だけ。本当に、数人しか出席していませんでした。 もちろん国王はOportoの競技場にいました。
 結果は 1対1 の引き分けです。

 日曜20日は リスボンで、ポルトガルVSスペイン。もしスペインが負ければ、泣く泣 く帰国。引き分ければギリシャとともに、準準決勝進出できると言うことで、6万人はいる競 技場の2万人は スペイン人で、あとは開催国のポルトガル人で埋まることでしょう。
 試合もさることながら、応援も大変。スペインもポルトガルも血の気が多いラテン人 ですから、  地の雨が降るのではないか?
 見物人のわたしに興味津々です。
 でもポルトガルは開催国だから、スペインは不利ですね。
                                  end

2004/06

(第10便) 吉家の、スペインにおける3代の男たち。

左から
孫 Taro Alonso Yoshi Castro 4歳 1/2 日本人/スペイン人
私 吉 孝也     100% 日本人 新潟生まれ 72歳
倅 吉 英介     100% 日本人 横浜生まれ 39歳

 Sevillaの近くの漁村に Sres. Del Japon と名乗る一族が住む村があります。
 伊達政宗が派遣した、支倉遣西使節の随行員の子孫がすんでいます。

 私の子孫も、この先何百年経ったらどうなることやら、それを考えると 愉快になります。                吉
2004/05

(第9便) 病気になるなら、スペインにいらっしゃい

 私、4月から、前立腺ガンの放射線治療に通っています。土曜・日曜。祭日を除いた 毎日16:15が、受療時間です。副作用があると脅かされましたが、まったくありませ ん。
 36回加療します。幸いスペインの健康保険は完璧で、患者の自己負担はゼロです。 病気になるなら、スペインにいらっしゃいです。
 私の病院では、朝の8時から22時までに、毎日、70人の放射線治療をするそうです。 この病院はミネラルウオーターも無料で、ひとりで500cc ボトル 10本も持ち帰る 人もいます。
 駐車場は1時間までは無料。それから一時間毎に130円。至れり尽せりです。 待ち時間を入れて、30分もあれば治療は終わります。

 と言うわけで、ラスパル通信も途切れがちですが、せめて一週間に一通は出したいも のです。
 aiyesのHM偶然に見た、京都にすむ、私の小学校の同級生が、知らせてくれまし たので、久しぶりにメールします。

                    吉
2004/05

(第8便) 仏教徒で良かった

 私の知り合いで、モロッコのアガデール市で、タコの品質検査場を経営している 56歳の方がおられます。
 彼は15年前、モロッコ女性と結婚するとき、回教徒に改宗。
 今日電話で雑談しました。
「第二、第三婦人を持ちませんか?」
 冗談で聞きました。
「モロッコの副婚は裁判所の許可が必要で、男性が肉体的にも物質的にも複数の婦 人を平等に扱うことを証明せねば、その許可を出さない」
「じゃあ離婚して、新しい奥さんをもらったらどうですか?」
「いや、離婚も難しいです。仏教徒の方が良かったようです」
と、こぼしていました。
2004/03

(第7便) 母親ふたり
私の友人の36歳の娘は、レスビアンです。34歳の看護婦さんと同棲していますが、最近人工授精で妊娠しました。
 34歳の恋人と、二人で選んだ、褐色の髪、緑色の瞳の男性の精子を、恋人の卵子に受精させ、36歳の彼女の子宮で育てるそうです。
 父親の名前も、年齢も知らされていないそうで、生まれてくる子どもに父親が不在で、母親が二人いる環境をどう説明するのか? 他人事ながら、気になります。
 いずれにせよ、医学の進歩は今までの倫理では説明できない状況を作り出すものです。
2004/02


(第6便) スペインの恋人たち
最近スペインのフェリーペ皇太子がバツイチで、しかも、数人のamigosとの同棲経験のある女性TVジャーナリストと婚約しました。皇太子36歳、彼女32歳。
時々皇族一家と観劇などしている彼女をTVで見ますが、フアン・カルロス王が彼女を見る目が冷たい感じがするのは、私だけではないようです。
私がスペインに来た頃は、恋人同士の夜間の外出に女性の弟などが目付け役についてきたものでした。時代は変わりました。
皇太子の婚約発表のTV会見時、彼女の発言の途中に口をはさんだ皇太子に、彼女が「Dejame habrar hasta termino」と口を尖らしたのには、気の強い女性だな!! と思いました。たしなめられた皇太子は苦笑いしながら、目じりをさげてました。
美人ですが、気の強そうな女性です。よそごとながら、私は彼女が好きではありません。
2004/01



(第5便) スペインは情熱の国
養老院にすむ85歳のおじいさんと81歳のおばあさんが相思相愛で結婚しました。 養老院のみんなの祝福が未ださめやらぬ5日あと、お爺さんがお婆さんを刃渡り20センチの肉きり包丁でめったやたらに刺し殺しました。
 真夜中に小用たしに行ったお爺さん、部屋に入った看護夫を寝ぼけ眼に、間男とまちがい、嫉妬に駆られての凶行のようです。ちなみに、お爺さんは肉屋さんを経営していたそうです。
2004/01


(第4便) ラスの日本人−1
 私がラスに来た38年前は、100人近い大手水産会社、大手商社の駐 在員、カナリア周辺海域に操業している日本漁船員数千人が常時ラス の港に入り、港周辺のバー、キャバレーは、まるで日本の三崎漁港、下 関、博多漁港の紅灯の巷のような賑わいで、怪しい東北弁、関西弁訛 の嬌声が響き、酒に酔った船員たちの怒鳴り声が朝の5時まで聞こえて くる賑わいでした。

 それから30年。ラスに入港する、日本船は大手水産の船はゼロにな り、個人船主のマグロ船がばらばらと入港するのみです。 今のマグロ船は、魚価の低迷から、1年操業は出来ず、地中海に産卵 に入る脂ののった本マグロ操業が終わった6月から8月までは乗組員 の骨休みで、ラスの港に係船しています。

 漁船岸壁にあるわたしの事務所の窓から、真っ白に塗った日本のマ グロ船が30数隻見えます。  これらのマグロ船は、日本人の幹部船員5〜6名と給料が安くしかも おとなしく働くインドネシア人の混乗です。 日本人も、若い人の補充もないまま、平均年齢がどんどん高くなり、 もうすぐ60歳の大台に乗る気配です。

 日本人が食べるマグロも、台湾船が獲ったもの、スペイン船、イタリア 船フランス船などが獲った養殖マグロばかりになるかもしれません。

(第3便) 洞窟−2
私たちの洞窟は標高800メートルの山の中腹にあり、今から250年前に当時のスペイン植民者が作ったもので、彼らが住んでいた居住洞の斜め上の斜面に、動物を囲った洞があり、 この二つの洞を、階段トンネルでつなぎました。
深さ100メートルの涸れ谷の向こう側の尾根に住む、60歳の農家の主婦は、この洞窟で生まれました。

まあ写真をご覧になってください。
                


(第2便) 洞窟−1

 洞窟というと、9.11テロで、世界を恐怖の奈落に突き落としたビン・ラデンのアルカイダの立てこもる、アフガンの洞窟陣地を思う人が多いでしょう。

 ラス・パルマスの山には洞窟が数知れずあります。15世紀に当地に来たスペイン植民者が目にしたのは、原住民グワンチが住む洞窟でした。雨露をしのぐ家を建てる 木材とか、棕櫚の葉っぱの少ない土地にすむ人たちの家といえば、手っ取り早く山腹を掘ってすむことでした。21世紀の今でも、洞窟に住んでいる人がたくさんいます。

 確かに家を建てるより、山の中腹を掘り進んだほうが、資材も、セメントをこねる水もいらない。さらに愉快なのは、洞窟を掘る認可が要らぬことです。

 私たちの住む山の家にも、洞窟があります。ラスは乾燥して雨も降らないので、日本の洞窟のようにじめじめしない。外が30度でも10度でも、洞窟内は年中 20度前後。 真夏になると、私たちは洞窟に寝ることにしています。外の騒音も聞こえないし、蚊も入ってこない天然の冷房です。

 次の便りに、洞窟内の写真をメールします。読者の皆さん、どんな洞窟か想像していてください。


2002/08/07 (第1便)

ラス・パルマスにすむ吉孝也です。
ホームページ立ち上げに、お祝いの言葉を申し上げます。
折に触れ投稿させていただきます。

今年のラス・パルマスは例年にない涼しい夏となっております。
スペイン本土が軒並みに、30度以上でも、ここラス・パルマスは 24〜5度で、まことに過ごしやすい毎日です。
その反面、水温が低いので、世界的なタコ漁場になっているサワラ沖は タコ不漁で、タコの仲介貿易で、生計を立てているラス・パルマスの 日本人たちは暇を持て余しております。

ラス・パルマスの南の観光地で7軒の中華レストランを経営している 日本人O氏は、観光客の激減で客の少ない店を2軒、一時閉店した といっていました。
地中海沿岸のユーゴスラビア、トルコ、チュニジア、クロアチア、エジプト などの治安がおさまり観光客がそちらに行くからです。

当地に住む日本人は150名、ほとんどが水産関係の仕事をして います。皆さん、もう50歳以上になり、そろそろ晩年を迎えております。
スペインの年金をもらっている日本人は私を含め5人。 尤もそのうちの2人は日本籍を離脱、スペイン人になっています。
昨日55歳の働き盛りの同胞が、食道ガンで亡くなられました。

合掌        吉孝也